作詞作曲家で歌手の中村泰士さんが20日に肝臓がんのため、大阪市内の病院で亡くなっていたことを受け、所属事務所が24日夜、同市内で会見して説明した。事務所代表でマネジャーの神田幸さんと、ともに活動を行ったアレンジャー・ミュージシャンのかせだあきひろ氏が出席し、中村さんとの思い出にも言及した。

神田さんによると、中村さんは9月の中頃に少し調子が悪く、10月に入って「外に出るのもしんどい」と言っていたという。肝臓がんを患っており、10月14~29日まで入院。手術はしなかった。同30日に1回目の抗がん剤治療を受け、11月20日に2回目の治療を受けた。

12月5日には最後のステージとなる客船ライブを行った。アンコールで最後に歌ったのは「喝采」。

2回目の入院は下船後の12月6日。12月に中村さん本人から「入院したい」と申し出があり、そこから2週間後の20日に亡くなった。23日に通夜、24日に密葬で葬儀が行われた。24日となった理由は、中村さんがクリスチャンで「寺でもいいけど、牧師も呼んで」と希望していたが、牧師はすぐに探せず、神田さんは、中村さんの意をくみ「24日ならキリスト教のお誕生日になるので」とこの日を選んだという。

4月ごろに、闘病中もワンマンライブを行ったビルボードライブ大阪で、「中村泰士メモリアルG POP」を開催予定。30~から50代の一般ファンに向けて行う予定。「僕の音楽をあまり知らない人に聞いてほしい。仰々しくお別れの会とかはいらない」と話していたという。

中村さんは肝臓がんが判明した後も、闘病を続けながら、11月2、3日には大阪市内のスタジオで新曲11曲を収録。YouTubeチャンネルでで公開していた。「ライバルはあいみょん」だと言い、中村さんは「こんなボイスでやってくれ」と言っていたという。かせだ氏も「まずマイクで決めるところから入った。こだわりがすごかった」と明かした。

神田さんは「とにかく音楽の話ばかり。いつも言うのは『メモリアルライブをしてほしい』と。一番おもしろかったのは『俺は毎日生まれ変わってる』と『俺が死んでも悲しむな』。弱音は一度も見てない」と話し、つねに前しか見ていなかった中村さんをしのんでいた。【星名希実】