8月11日、世界的ファッションデザイナーの森英恵さんが96歳で息を引き取った。
その訃報はフランスでも大きく報道され、これまでに仏紙ル・モンドやマダム・フィガロなど多くのメディアが森英恵さんの功績を称えている。
森英恵さんはパリに縁の深い人物であった。「マダム・バタフライ」の愛称で親しまれたほか、1977年には日本人およびアジア人として初めてパリ・オートクチュール組合の会員となる。日本の伝統と西洋のファッションを融合した独自のスタイルが賞賛を浴び、パリコレではアジア人屈指のデザイナーとして25年間以上活躍し続けた。
仏メディアの多くは、そんな森英恵さんを「日本における女性解放のパイオニアだった」と紹介した。
戦後の日本で何百本もの映画の衣装制作に携わっていたことや、米国に渡りグレース・ケリーやナンシー・レーガンを顧客に持ったことなどを述べた上で、「当時、日本では数少なない女性の企業トップとして君臨し続けた」と称えた。
また仏マダム・フィガロ紙はフランスのデザイナー、ガブリエル・シャネルとの出会いにも言及している。
森英恵さんがシャネルの提案によって「日本人の美の概念はすべて隠すことに基づいている。私はアプローチを変え、女性が際立つ服を作らなければならないと気づいたのです」と述べたことを紹介、いかにして彼女のブランド美学が生まれたかを綴った。
1970年代からは故高田賢三氏、故三宅一生氏が同じくパリで活躍しているが、女性デザイナーとしての森英恵さんの功績は非常に大きかったと言える。
彼女がオートクチュールの名士であったことから、フランス政府は2006年にレジオン・ドヌール勲章を授与。
多くの若手デザイナーにパリへの道を切り開いた。
仏紙ル・モンドは、森英恵さんの歴史を詳しく報じたメディアのひとつであった。
「日本のファッション界の巨匠」であり、デジタルの時代になっても「手仕事による創造の重要性」を若い世代に伝え続けた英恵さん。
同紙はそんなHanae Moriの哲学を伝えたほか、その人生はガブリエル・シャネルに通ずるものがあった、と述べた。
仏紙ル・モンドは2004年、パリにおける森英恵さんの最後のショーを大きく報じたメディアでもある。
記事を辿ってみると、「ホテル・ブリストルで行われたHanae Moriの最後のショーで、観客の中に乾いた目を見つけるのは難しいことだった」とある。
こうした内容からも、森英恵さんがモードの都パリでどれほど愛されていたかが伝わった。
20世紀後半の日本・パリを繋いだファッションデザイナーの訃報が続いている。
戦後の日本で、貧しさから洋裁を始めたわけではなく、女性として自立するという明確な目的意識を持っていた森英恵さん。
そのパイオニア精神はフランスでも大変に有名であった。(内)
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2022-08-20 15:12:27Z
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