延期の理由は「結婚後の生活について充分(じゅうぶん)な時間的余裕がないこと」で、「急ぎ過ぎていた」と説明された。小室さんは当時、法律事務所の職員で、半年後には弁護士資格を取得するため渡米した。皇族女子の婚約内定者が学生になるという極めて異例の展開となった。
戦前の皇族女子の結婚相手は皇族や華族が多く、両家の縁談で決められるのが通例だった。
戦後、昭和天皇の后(きさき)の香淳(こうじゅん)皇后は、四女順宮(よりのみや)(池田厚子さん)に旧皇族との結婚を望んだが、側近らが近親結婚を理由に反対した。厚子さんは、側近らの取り持ちで旧岡山藩主の池田家の長男、隆政さん(2012年に死去)と何度か会い、1952年に結婚した。名古屋大の河西秀哉准教授(日本近現代史)は「自由恋愛を演出することで、国民に支持される皇室のイメージを作っていった」と指摘する。
その後、長野・軽井沢で出会われた上皇ご夫妻の結婚は「テニスコートの恋」と呼ばれ、ご夫妻の3人のお子さま方もそれぞれ恋愛で結婚相手を決められた。
宮内庁は、お相手の家について事前に調査を行っていた。平成時代の側近は「結婚相手は天皇家を支える者となる。公開情報や関係者への聞き取りで、何代か前まで遡って確認した」と振り返る。
関係者によると、眞子さまについては秋篠宮さまの意向もあり、宮内庁は調査を行っていない。同庁関係者は「秋篠宮さまは眞子さまが選んだ人を信頼されていたのだろう」と話す。
秋篠宮ご夫妻は、慣例にとらわれず、自主性を重んじる教育を実践されてきた。
眞子さまは、大学は多くの皇族が通ってきた学習院ではなく、国際基督教大学(ICU)に進学。そこで小室さんと出会われた。卒業時に公表した文書では、大学や留学先をまず自分で考え、両親の意見を聞いた上で決断していたとし、「私の考えを最大限尊重してくれていることに感謝しております」とつづられた。
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2021-10-02 20:06:09Z
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