その上で「私は中学生だった1960年代に初代ジャニーズの楽曲と出会って、ジャニー喜多川さんという存在を知りました。何年か後に初代ジャニーズの海外レコーディング作品を聞いて、私はとても感動して、この『サンデー・ソングブック』でも特集したことがあります。1970年代の末に、私の音楽を偶然に聞いたジャニーさんに褒めていただいて、そのご縁で数年後に私のビジネスパートナーが近藤真彦さんのディレクターとなったことから、『ハイティーン・ブギ』という作品が生まれました。その後もジャニーズに楽曲を提供する中で、多くの優れた才能と出会い、私自身も作品の幅を大きく広げることのでき、成長させていただきました」と感謝の思いを伝える一幕も。
さらに「たくさんのジャニーズのライブに接することができたおかげで、KinKi Kidsとの出会いがあって、そこから『硝子の少年』という作品を書くことができて、昨年の『Amazing Love』まで、彼らとの絆はずっと続いております。芸能というのは人間が作るものである以上、人間同士のコミュニケーションが必須です。どんな業界、会社、組織でもそれは変わらないでしょう。人間同士の密な関係が構築できなければ、良い作品など生まれません。そうした数々の才能あるタレントさんを排出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は今も変わっていません」と呼びかけた。
自身のスタンスとして「私の人生にとって1番大切なことは、ご縁とご恩です。ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが、戦後の日本でどれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか。私にとっては、すばらしいタレントさんたちやミュージシャンたちとのご縁をいただいて、時代を超えて長く歌い継いでもらえる作品を作れたこと、そのような機会を与えていただいたことに心から恩義を感じています」と話した。
さらに「いち個人、いちミュージシャンとしてジャニーさんへのご恩を忘れないことや、それから、ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的、倫理的な意味での性加害を容認することとは全くの別問題だと考えております。作品に罪はありませんし、タレントさんたちも同様です。繰り返しますが、私は性加害を擁護しているのではありません。アイドルたちの芸事に対するひたむきな努力を間近で見てきたものとして、彼らに敬意を持って接したいというだけなのです」と訴えていた。
松尾氏は1日、自身のツイッターで「15年間在籍したスマイルカンパニーとのマネージメント契約が中途で終了になりました。私がメディアでジャニーズ事務所と藤島ジュリー景子社長に言及したのが理由です。私をスマイルに誘ってくださった山下達郎さんも会社方針に賛成とのこと、残念です。今までのサポートに感謝します。バイバイ!」とつづっていた。
これを受け、同社は5日に公式サイトを更新。「契約終了直後に、松尾氏がTwitterで弊社所属の山下達郎の名前にも触れてツイートを行ったことが各方面で取り上げられておりますが、今回の契約解除は、松尾氏によるこれまでの社内外での言動等に鑑み、弊社代表である私自身の判断により、松尾氏との協議の上、合意により終了することとなったものです。双方の代理人弁護士による署名/捺印済みの解約合意書もございます。その他については、守秘義務の関係もあり、お答えを差し控えさせていただきます」とした。
番組の模様は、放送後1週間以内は「radiko」で聞くことができる。
https://news.google.com/rss/articles/CBMiK2h0dHBzOi8vd3d3Lm9yaWNvbi5jby5qcC9uZXdzLzIyODYzNDkvZnVsbC_SAQA?oc=5
2023-07-09 06:12:00Z
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