「ショーケン」の愛称で親しまれた俳優で歌手の萩原健一(はぎわら・けんいち、本名・萩原敬三)さんが26日午前10時30分、消化管間質腫瘍(GIST)のため、都内の病院で死去した。68歳だった。
色気。普通は女を語る時に用いられる言葉を、男として与えられた人かもしれない。カッコ良くて、ワルくて、危うくて、強くて、弱かった。萩原さんに母性本能をくすぐられ、多くの女性たちが恋に落ちた。
1966年、聖橋高(東京)2年の時。3日間のストライキで「丸刈り反対、長髪認めろ」と学校側に要求。責任を取って中退した。「辞めさせられたんじゃない。オレが辞めたんだ」。直後に「ザ・テンプターズ」でスターダムにのし上がった。
モデル・小泉一十三と最初の結婚生活を送っていた76年。8人の女性の名前を列挙しながら商品をPRする不思議なCMに出演した。萩原さんが提案した演出だったが、頭文字を並べると「ひとみあいしてる」だった。
78年、最初に離婚した時は「再婚したいけど、たぶん無理だろうなあ」と弱気だったが、80年には早くもいしだあゆみと結ばれた。
83年、大麻所持で逮捕されると、翌年2月には酒気帯び運転で人身事故を起こした。その後の会見で、当時の妻・いしだに一言、と問われると申し訳なさそうに声を落とした。「母であり、妹であり、姉…もちろん妻でもあります。なんて不幸でかわいそうな女だろう…オレと一緒にならなければ幸せになれたのに…。本当に愛しているし、いつも犠牲にしてすまない。女房には、心底どうもすみません、と言いたい」。翌月には再び会見を開き、離婚を発表した。
85年、倍賞美津子との密会を撮った講談社「フライデー」の記者を殴打する事件を起こした。翌年、同グループの光文社から「フラッシュ」が創刊されると、自ら志願して広告に登場。「きちんと喜び、きちんと怒る」というコピーと並んでほほ笑みを浮かべた。
93年、倍賞との交際が終わりを告げると報道陣に宣言した。「僕は逃げも隠れもしない。僕は何でもしゃべるから彼女のところまで行かないでやってくれ」と優しさを見せたかと思えば、後年になると「僕を好きになってくれた人の中で、後悔したと言える人は一人もいないはずだよ」と言い放ったりもした。
感覚的な演技は天才肌だった。91年公開の映画「渋滞」の演技が絶賛されると「人生は渋滞ばっかりだけどね」と笑った。92年オンエアのサントリー・モルツCMで「うまいんだなぁ、これがっ」と実感を込めて語ったコピーは流行語にもなった。
98年に真珠腫性中耳炎を患った。その後は右耳の聴力を完全に失っていたが、ステージでは不自由な様子など一切見せずに叫び続け、独特のリズムによるダンスに狂った。足が絡まっても華麗に踊り続ける人生だった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190329-00000050-sph-ent
2019-03-28 21:56:15Z
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