俳優の中尾彬さんは唐津を何度も訪れ、窯元で作陶に興じ、唐津くんちを「日本一の祭り」と評して曳山(やま)を愛した。唐津出身のマネジャーの縁で始まった交流が重なり、唐津のPRにもつながった。訃報を受け、関係者に悲しみが広がった。
「ショック」と語るのは、北波多の呑楽(どんらく)窯の小杉昌興さん(84)。絵や書などの創作活動をしていた中尾さんは1988年に小杉さんに師事し、窯元に数カ月に1度通う生活が十数年続いた。「独創的で何でも上手だった。陶板をよく作った」。昨年末、小杉さんは湯飲みや焼酎グラスを中尾さんに贈ると「電話でえらく喜んでくれてね」。それが最後の会話となった。
最初に心を捉えたのは唐津くんちだった。金獅子の本町など複数の町で曳き子をしている。大原老舗(本町)の大原潤一社長(63)は「うちの父(令光さん、93歳)と当時は顔つきが似ていて、それで中尾さんが『兄さん』と呼んで親しくしていた」と気さくな人柄を思い出す。
地元の鳴滝酒造の焼酎を好み、25年ほど前には商品を共同開発したこともある。古舘正典社長(57)は「強面(こわもて)だったけど、細やかに気を使われる方だった。唐津くんちを『日本一の祭り』と言い、唐津を大好きでいてくれた」としのんだ。(宮﨑勝)
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2024-05-23 00:36:05Z
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